公益財団法人田附興風会 医学研究所北野病院

公益財団法人田附興風会 医学研究所北野病院

前副所長高林有道のご挨拶(平成13年)

ご挨拶

前副所長高林有道のご挨拶(平成13年)

大正14年に、当研究所が当時の文部省から財団法人の認可を受けて設立され、昭和3年にその附属臨床医学研究用病院として北野病院が開院し、臨床医学研究が開始されてすでに75年近くの年月が経過している。残念ながら、今我々は当時の研究がどのようなものであったかの資料を持ち得ないが、戦争を経て(戦後数年間、当施設は進駐軍により使用されていた)昭和20年代後半からその活動が再開された。

当然のことながら、当時は臨床医学研究と称する実績よりも、附属臨床医学研究用病院として医療の専門性が重視され臨床面での学会活動がその研究の中心であった。昭和30年代となり、京都大学の研究活動が軌道に乗り始めると,当研究所も各々の教室との活発な交流が再開され、優秀な若手医師がより集まるところとなった。

そして、診療活動のみならず、地道な臨床研究が開始されるようになった。大學の各教室との共同研究を基盤としつつも、当施設での研究論文が京都大学医学博士審査にて認められるという業績が続いた。その後(昭和40・50年代)大学紛争の余波が当研究所病院にも及ぴ、社会科学的な側面からの、”臨床研究とは何か” の間題意識が、従来の研究活動の継続性に少なからず影響を及ぼした。

しかしながら、臨床面での活動は日本の最先端をリードする活躍(脳外科、神経内科、婦人科,外科など)となり、その臨床医学研究所としての業績も蓄積されてきた。日常診療から発する数々の疑間・矛盾から新しいパラダイム創造への欲求は受け継がれ、混乱のさなかでも、、研究所休遊地でヒヅジを飼いながら、液性免疫学の研究などが続けられた。多くの若手臨床研究者は、その後大學でのより深遠な研究生活へと進み、現在の日本の臨床研究・基礎研究の旗手として活躍中である。

さて、現在に至る医学研究所北野病院の活動状況に目を向けると、昭和60年代には北野神経センターの医学研究所内での設立(神経内科、脳外科、神経科、小児神経科)が文部省よりみとめられ、名実共に充実した臨床的・基礎的神経疾患研究の継続がなされている(特に菊地、端、近藤らの脳血管外科を中心とした臨床および、今井、日下らを中心とした神経病理学の展開)。

1985年には、特定公益増進法人の指定を受け、また当研究所に認められている文部省科学研究費補助金(いわゆる科研費)申請の特典は、特に腫瘍学研究グループ(胸部外科、消化器外科、血液内科など)の研究実績の発展に大きく寄与しており、中でも,三宅らによる”癌転移機構の作用機構の解明”への臨床研究成果は、当医学研究所が、その使命を果たすべき組織として活動する牽引車としての意義のみならず、世界ヘメッセージを発し得る研究が可能である事を示している。

当医学研究所は、成立の経緯からしてもあくまで臨床医学研究(日常診療の臨床の現場からの疑間を解くことをその考え方の基本として、先端科学との接点・応用を考え、臨床医学の現場に還元してゆくこと)を徹底的に追求することをその使命とし、今後の医学研究を進めるともに、この点が臨床医学研究所の実践の場としての医学研究所北野病院につながる全ての従事者の共通理念であることを再確認するものである。

医学研究所 前副所長  高林 有道
(平成13年9月)

事業の現況

財団法人田附興風会医学研究所としてその使命を果たすべく、基礎的ならびに臨床的研究の進展に努め、平成13年度文部科学省科学研究費補助金交付申請は、「外科的ストレスの生体防御及び腫瘍増殖機構への与える影響の解析」他17件を申請し、うち7件が採択され、研究等に大きな実績をあげた。なお、各研究部の研究課題として152題の研究を遂行、学会発表173題、論文発表50題などの実績をあげた。なお、各研究所の研究課題として15題の研究を遂行、学会発表173題、論文発表50題などの実績をあげることができた。

また、地域医療研修センター事業として、10年度より開催の市民医学講座においては4回開催し、講演会、地域医師会合同勉強会、院内 CPC、卒後教育講義、各種カンファレンス、セミナー各種診療科主催の病診連携検討会等を開催し、成果をあげた。なお、「地域医師会合同勉強会」で関係医師に、又、子育て中の母親より講評をうけている「すくすく健康相談」、地域住民のための「市民医学講座」を開催している。

京都大学との連携研究事業としての「医生物学フォーラム」は10回目を迎え、8月京都大学において「新しい医学への提言」と題し、発生、ガン、創薬、免疫を取り上げて開催された。