公益財団法人田附興風会 医学研究所北野病院

公益財団法人田附興風会 医学研究所北野病院

歴史

歴史

病院の成り立ち

創設者 田附政次郎氏

公益財団法人田附興風会は、医学研究所として病院を運営し、臨床研究を行っています。大阪市北区扇町にあり、急性期総合病院としての機能を有しております。本財団の設立は、東洋紡や日清紡ホールディングスの設立に関与するなど綿業界で活躍された大阪の実業家 田附政次郎氏が、京都帝国大学(現 京都大学)医学部で胸の病を癒されたことに感謝され、同大学の学術研究に資することを目的に提供された寄附金に基因します。

京都帝国大学新聞 大正14年9月14日発行
京都帝国大学新聞 大正14年9月14日発行

1925年、文部・内務両大臣の認許を受けて同大学医学部内に財団法人田附興風会医学研究所が設立され、1928年、研究事業遂行のための臨床医学研究用病院が大阪の地に付設されました。医学研究の拠点を大阪市内としたのは、当時の大阪市当局から熱心な要望があったことと、人家が稠密で生計繁忙な大阪市が医学研究の豊富な資料を得るのに至便であったことと、そして何よりも、寄附者である田附氏の「大阪市民に最新医学の恩恵を与えん」とする希望を尊重したことによります。

財団名は、京都帝国大学総長であった荒木寅三郎氏によって命名されました。病院名は、当初「嘉恵(かけい)」という名称が候補に挙がっていましたが、「平易が望ましい」とする田附氏の希望に基づき、大阪市長であった關一氏によって「北野」という名称が選定されました。これは、病院が建設される地区が「北野」と呼ばれていたことに由来します。

病院創設に向けて着々と準備を進めていた1927年に昭和金融恐慌が起き、財団基本金を預けていた近江銀行が突如閉鎖、財団基本金の一部が切り捨てられることとなりました。その煽りを受けて、病院規模を縮小せざるを得ない危機的状況に陥りましたが、初代理事長 今村新吉氏を始めとする創設時の幹部達の働きによって苦難を克服し、予定期日を幾許も違うことなく1928年2月、開院の運びに至りました。

病院の正面玄関にて
前列左端:今村理事長 前列左から2番目:田附政次郎氏

昭和金融恐慌後の日本経済界は不況続きで、開院すれども北野病院の名声はなかなか大阪の市民に知れ渡らず、厳しい経営状態が長く続きましたが、職員の献身的な協力を得て着実に院務を遂行してまいりした。当時、各診療科がそれぞれの顧問教授(京都帝国大学医学部)から直接指導を受け得たことは、北野病院の特筆すべき特色として評されました。

北野病院の看板
店舗よりも看板が大きい大阪の土地柄とはいえ、京都風を重んじる経営陣の多くは難色を示したという

逐年、日本経済界の不況も安定の域に達し、抜本的に病院経営の改善を推し進めた結果、1934年以降の7~8年間においては画期的な大発展を遂げ、隣接所有地を拡大させて、諸建築の斧鉞の音を聞かぬ年はないほどの黄金期を迎えることとなりました。

1934年頃の北野病院
ヨーロッパ風からアメリカ風の外観デザインに移行

しかし順風満帆な時代は長くは続かず、1939年に第二次世界大戦が勃発したことで終わりを告げます。数多くの病院職員が戦場に駆り出され、大阪大空襲で再起不能なまでの戦渦を被り、終戦を迎えた1945年には、連合国軍によって病院施設が接収される危機にさらされることになりました。幾度となく連合国軍衛生部隊長のサムス大佐に執拗な強談判を受けましたが、専務理事であった三浦百重氏が「米国では、個人の善意による寄附でできた病院を、寄附者の意思に反して取り上げることが認められますか」と問いかけたところ、大佐は一言の反論もなく沈黙し、1950年に病院施設は返還されました。

終戦後の不安定な社会情勢、資金の調達、医師の確保など課題は山積しておりましたが、地域住民からの北野病院復活の強い要望を受けて、188床での全館同時再開に踏み切りました。機械器具類・薬品に至るまで全てが借り物で、運転資金もほとんどない状況にありましたが、「医学に関する総合研究を行い、あわせて京都帝国大学(現 京都大学)医学部における学術研究を助成し、研究の成果の普及を図り、もって学術・文化の発展に寄与する」という財団創立の主旨を忘れることなく日々の診療に専念し、健全な経営基盤を確立させることに努めました。

出征祝い 数多くの病院職員が戦地に赴いた

返還後の北野病院 1950年11月16日に再開院

再開院後の診療整備が一段落した1955年、まだ順調とは言いがたい経営状態にありましたが、研究活動を常に第一として考える第9代病院長 松浦篤実氏の決断により、戦争で途絶えていた「北野病院業績報告」が医学研究所機関誌「北野病院紀要」として再刊されることとなりました。当院は、医学研究所に付設した臨床病院という特性上、この出来事は研究熱心であった多くの医師達に希望と活力を与えることになりました。

北野病院業績報告 第1巻

北野病院紀要 第1巻

その後、救急指定病院・臨床研修指定病院・日本育英会学資金返還免除対象研究所などの指定を受けるとともに、麻酔科・脳神経外科・神経内科といった新しい診療科も開設。1962年には510床、1981年には741床に増築し、急性期総合病院として大きく規模を発展させました。

1962年510床

1981年741床

1928年の創設から73年が経ち、建物の老朽化が激しかったため、2001年に現在の場所に新築移転。医療情報オーダリングシステムを拡充させ、ICU(集中治療室)・CCU(冠疾患集中治療室)・SCU(脳卒中集中治療室)・NICU(新生児特定集中治療室)を開設し、呼吸器・消化器・心臓・神経といった専門領域のセンター化を推進いたしました。さらに、大阪府がん診療拠点病院・地域医療支援病院・地域周産期母子医療センターなどの指定も受け、2011年には、財団法人から公益財団法人へと移行いたしました。現在、医学研究所は8の研究部門と治験管理センターで構成され、医学研究所付設の臨床病院として、また、大阪における高度先進医療の基幹病院として、時代の変化に遅れることなく歩み続けています。

2001竣工時の北野病院

2001竣工時の北野病院

沿革

1925年 大正14年 9月
  • 9月15日、医学に関する総合研究を行い、あわせて京都帝国大学(現 京都大学)医学部における学術研究を助成し、研究の成果の普及を図り、もって学術・文化の発展に寄与することを目的として、田附政次郎氏が寄附金を提供する。
10月
  • 10月10日、文部・内務両大臣の認許を受ける。
11月
  • 11月4日、財団法人田附興風会を設立する。
1928年 昭和 3年 2月



  • 2月29日、病床数120床をもって、京都帝国大学医学部に付属する臨床医学研究用として北野病院を開設する。

敷地:東西三七間、南北二九間。
面積:一〇三七坪。
建物規模:本館)地上4階、地下1階
別館)地上2階、地下1階
設計:京都帝国大学 工学部助教授 森田慶一博士がドイツ流の病院を参考に設計する。
大正末期~昭和初期の病院としては「モダンで重厚な外観」と評された。
特徴:建物中間に空地を画し、採光と通気面を拡大。
耐震への力学的配慮も十分になされ、1995年の阪神淡路大震災の際も大きな被害はなかった。

3月
  • 開院式を、本院講堂で挙行する。
    主な出席者:田附政次郎氏、今村初代理事長、松本初代病院長、荒木京都帝国大学総長、田辺大阪府知事、關大阪市長、佐多大阪医学会長、薄大阪府医師会長など
1929年 昭和4年 3月
  • 医学研究所機関誌として「田附興風会医学研究所北野病院 業績報告(現 北野病院紀要)」を発行する。
    目的:研究所病院としての独自性を発揮し、各研究員の研究意識を向上させる
    和文題字:今村新吉医学研究所長によって手交。
    誰の手によるものかは定かでない。
    英文題字:Memories of the Kitano Hospital Osakaは、今村氏が考案したものである。
6月
  • 昭和天皇陛下 大阪行幸の砌、御差遣の侍従を迎える光栄に浴す。
1930年 昭和5年 3月
  • 大阪府から「看護婦規則第二条第一項第二号の養成所」として指定を受ける。
    第1期卒業生:12名
    卒業証書授与式:同年5月24日
1935年 昭和10年 3月
  • 中新館(北側)を増築する。
    敷地:東西十一間五七、南北二十八間
    面積:三二四坪
    建物規模:地上3階、地下1階
    間取り:診療室・検査室・物理療法室・医員室・看護婦寄宿舎・炊事場・病室8室13床など
1938年 昭和13年 3月
  • 十周年記念式と財団創立者 田附政次郎氏の肖像除幕式を挙行する。
4月

  • 中新館(西側)の増築により、病床数が188床となる。
    建築延面積:五九六坪五合三勺。
    建物規模:地上4階、地下1階
    間取り:治療室・看護師詰所・配膳室・炊事室・エレベーター・機械室 など
    特徴:戦前の建築全盛期における建造のため、内装・外装に趣向が凝らされ、ヨーロッパ風からアメリカ風のデザインに移行する。この頃から、冷暖房設備が完備される。
1941年 昭和16年 8月
  • 第二次世界大戦への参戦に伴い、数多くの医師が軍医として応召される。
1945年 昭和20年 6月
  • 大阪大空襲により再起不能なまでの戦災に遭遇したため、即日閉院とする。8月を以って病院事業を打切り、建物・薬品・その他の在庫品の一部を売却する。
10月
  • 連合国軍に病院施設が接収される。
1950年 昭和25年 11月
  • 連合国軍接収解除に伴い、188床で再開院する。
12月
  • 完全看護(一部)完全給食(全部)を実施する。
    承認番号:特看第二号/食第十六号
1951年 昭和26年 11月
  • 212床に増床する。
1952年 昭和27年 7月
  • 244床に増床する。
10月
  • 電話を5回線増設して代表番号制とする。
1954年 昭和29年 12月
  • 人間ドックを開設する。
  • 結核病床の増設により、病床数が353床となる。
1955年 昭和30年 11月
  • 医学研究所機関誌「北野病院紀要(旧 田附興風会医学研究所北野病院 業績報告)」を再刊する。
    和文題字:当時の理事長であった三浦百重氏によって書かれた。
    英文題字:編集担当者が考案した中から、当時の病院長であった松浦篤実氏によって選定された。
11月
  • 再開院五周年記念式典を、ナニワホテルで挙行する。
1956年 昭和31年 6月
  • 大阪府から「救急指定病院」の指定を受ける。
1957年 昭和32年 7月
  • 「総合病院」の承認を受ける。
1958年 昭和33年 6月
  • 「北野病院紀要」が、国会図書館から国際交換図書に指定される。
1959年 昭和34年 6月
  • 短期人間ドックを開設する。
12月
  • 「関税免除機関」の指定を受ける。
1961年 昭和36年 11月
  • 麻酔科を開設する。
1962年 昭和37年 1月
  • 大阪市より土地の払下げを受ける。
4月
  • 新館の増築により、病床数が510床となる。
6月
  • 脳神経外科を開設する。
7月
  • 厚生省から「インターン臨床研修指定病院」の指定を受ける。
1968年 昭和43年 1月
  • 専門内科外来を開設する。
7月
  • 厚生省から「臨床研修指定病院」に指定される。
1980年 昭和55年 4月
  • 神経内科を開設する。
1981年 昭和56年 3月
  • 西館の増築により、病床数が741床となる。
    建物規模:地上6階、地下2階
    間取り:廊下を左右に二条とし、南北面に病室を配す。
    階段室・EV・トイレ・処置室・詰所等を
    中央に設けたコア様式。
    各階に、パイピング/換気ダクト用ピット各1、
    汚物シュート/ダストシュート各1を設置。
    詰所と病室間は、インターホン相互通話。
    病室に酸素吸入用コックを設置。
    地下1階に地下手術室を設置し、エアコンや採光・照明・消毒・殺菌・防湿等の特殊設備を施す。
1983年 昭和58年 4月
  • 神経センターを開設する。
1985年 昭和60年 2月
  • 文部省から「特定公益増進法人」の指定を受ける。
1986年 昭和61年 9月
  • 地域医療研修センターを開設する。
1993年 平成 5年 3月
  • 文部省から「日本育英会学資金返還免除対象研究所」の指定を受ける。
1998年 平成10年 4月
  • 脳卒中センターを開設する。
6月
  • 新病院の地鎮祭・起工式を挙行する。
    (旧 扇町中学校跡地)
    主な出席者:本庶佑理事長、田附政次郎理事、本田孔士京都大学附属病院長、菊池晴彦国立循環器病センター総長、京極俊明大阪府会議員、岡村平太北区医師会長など
11月
  • 医療情報オーダリングシステムを導入する。(入院)
2000年 平成12年 1月
  • 形成外科を開設する。
4月
  • 救急部を開設する。
2001年 平成13年 9月
  • 現地に新築移転する。
    敷地面積:9969.86㎡
    延床面積:58532.02㎡
    建築面積:5139.86㎡
    建物規模:地上15階、地下3階、塔屋1階
    構造:SRC造、S造、RC造
    特徴:半円の曲線を描くモダンな外観
    開放感あふれる院内環境
    全ベッドサイドに窓を設置
    太陽光や自然の風が豊富に取り込める病室
  • 医療情報オーダリングシステムを拡充する。(入院・外来)
  • 健診部を開設する。(現 健康管理センター)
  • 老人性認知症センターを開設する。
  • NICU(Newborn Intensive Care Unit 新生児特定集中治療室)を開設する。
2002年 平成14年 5月
  • 小児外科を開設する。
2005年 平成17年 2月
  • 北野健康クラブを発足する。
4月
  • 呼吸器内科、消化器内科、循環器内科を分科する。
  • 心療内科を開設する。
5月
  • 内視鏡部を開設する。
  • 財団法人 日本医療機能評価機構から「病院機能評価 Ver.4」の認定を受ける。
6月
  • 免疫血液内科を、血液内科とリウマチ膠原病内科に分科する。
8月
  • 財団創設80周年記念事業「海外展開プロジェクト」を開始する。
2006年 平成18年 4月
  • 消化器センターを開設する。
  • 乳腺外科を開設する。
  • ICU(Intensive Care Unit 集中治療室)を開設する。
5月
  • SCU(Stroke Care Unit 脳卒中ケアユニット)を開設する。
6月
  • CCU(Coronary Care Unit 冠動脈疾患集中治療室)を開設する。
10月
  • 特定非営利活動法人イージェイネット女性医師のキャリア形成・維持・向上をめざす会から「働きやすい病院評価」の認定を受ける。
2007年 平成19年 3月
  • 心臓血管外科を新設して、心臓センターを開設する。
  • 精神病床を20床に減床する。(許可病床707床)
6月
  • 呼吸器内科と呼吸器外科を統合して、呼吸器センターを開設する。
  • リハビリテーションセンターを開設する。
  • 社会貢献部を新設する。
7月
  • がん診療連携相談支援センターを開設する。
9月
  • 復旦大学-京都大学、関連病院間のGeneral Agreementに調印する。
2008年 平成20年 2月
  • 医療情報オーダリングシステムを拡充する。
4月
  • 糖尿病内分泌センターを開設する。
  • カルトシステムを導入する。(心臓センター)
8月
  • 神経内科・脳神経外科を統合して、神経センターを再編する。
  • ドクターカーを導入する。
11月
  • 復旦大学、崋山病院、上海衛生局の職員が来院する。
2009年 平成21年 4月
  • 大阪府から「大阪府がん診療拠点病院」の指定を受ける。
  • 総合診療センターを開設する。
9月
  • 復旦大学から医学生の研修を受け入れる。
    (外科手術の実習見学など)
11月
  • 大阪府から「地域医療支援病院」の承認を受ける。
  • 禁煙タクシーを導入する。
12月
  • 4D超音波診断装置を導入する。(産婦人科)
2010年 平成22年 2月
  • 大阪府から「地域周産期母子医療センター」の認定を受ける。
3月
  • 崋山病院-北野病院Memorandum of Understanding (MOU)締結し、崋山病院Worldwide Medical Centerで協働診療研究を開始する。
4月
  • 財団法人 日本医療機能評価機構から「病院機能評価 Ver.6」の認定を受ける。
  • OMP Lumera700を導入する。(眼科)
2011年 平成23年 2月
  • 地下1階売店をリニューアルする。
4月
  • 財団創設80周年記念事業「探索医学プロジェクト」を開始する。
9月
  • 北野病院附属画像診断クリニックを開設する。
10月
  • クリーンルームを増床する。
  • 骨髄移植推進財団から「非血縁者間骨髄移植施設」の認定を受ける。
  • 骨髄移植推進財団から「非血縁者間末梢幹細胞採取施設」の認定を受ける。
11月
  • 内閣府から「公益財団法人」の指定を受ける。
2012年 平成24年 4月
  • 厚生労働省から「DPCⅡ群病院」の指定を受ける。
5月
  • 特定非営利活動法人イージェイネット女性医師のキャリア形成・維持・向上をめざす会から「働きやすい病院評価」の更新認定を受ける。
9月
  • 病院ホームページをリニューアルする。
2013年 平成25年 2月
  • 精神科病床数を12床に減床する。(許可病床699床)
  • 健康管理センターを14階に移設する。
  • 3次元画像解析システム(SYNASE VINSENT)を導入する。
3月
  • 腫瘍内科を新設する。
4月
  • 薬剤師を全病棟に常駐させる。
  • 内視鏡手術支援ロボット(da Vinci Surgical System)を導入する。
5月
  • 森之宮医療大学と相互連携協定を締結する。
  • 5階レストランをリニューアルする。
  • 職員による美化推進活動を開始する。
6月
  • 14階の特別病室の改装に着手する。
7月
  • 外来化学療法室を移設する。
8月
  • 腎泌尿器センターを開設する。
2014年 平成26年 2月
  • 第1回大規模災害訓練を実施する。
4月
  • ブレストセンターを開設する。
11月
  • 化学療法センターを開設する。
2015年 平成27年 4月
  • NPO法人卒後臨床研修評価機構(JCEP)の認定を受ける。
  • 人間ドック健診専門医研修施設の認定を受ける。
2017年 平成29年 3月
  • 「ISO 9001:2015」の認証を受ける。
  • 特定非営利活動法人イージェイネット女性医師のキャリア形成・維持・向上をめざす会から「働きやすい病院評価」の更新認定を受ける。
2018年 平成30年 4月
  • 一般社団法人 日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構から「遺伝性乳癌卵巣癌総合診療連携施設認定病院」の認定を受ける。
10月
  • 当財団第20代・22代理事長を務めた本庶佑評議員がノーベル生理学・医学賞を受賞する。
  • 漏斗胸センターを開設する。
11月
  • 大阪府から「難病診療連携拠点病院」の指定を受ける。
2019年 平成31年 2月
  • 病院ホームページをリニューアルする。
4月
  • 入退院サポートステーションを開設する。
令和元年 6月
  • 歯科口腔外科を開設する。
7月
  • がん診療センターを開設する。
10月
  • 緩和ケア科を開設する。
11月
  • 近畿ブロック小児がん拠点病院から「小児がん連携病院」の指定を受ける。
  • 臨床検査部が「ISO 15189:2012」の認証を受ける。
2020年 令和2年 4月
  • 難聴・鼓膜再生センターを開設する。
6月
  • 心療内科の外来診療を終了する。
11月
  • 新館が完成し、定礎式が執り行われる。
2021年 令和3年 4月
  • 精神科病床の運用を終了する。(許可病床687床)
  • 放射線科が治療部門と診断部門に分かれ、放射線部 放射線治療センター(腫瘍放射線科)と放射線部 放射線診断科が発足する。
6月
  • 救急病床の運用を終了する。(許可病床685床)
9月
  • こどものヘルニアセンターを開設する。
10月
  • 緩和ケアセンターを開設する。
2022年 令和4年 1月
  • 血液浄化センターを本館4階から本館6階へ移転する。
  • 化学療法センターを本館1階から本館6階へ移転する。
  • NICUを移転・拡充する。
3月
  • 眼科外来を本館3階から本館5階へ移転し、アイセンターを開設する。
4月
  • GCUを拡充する。
  • リハビリテーション科を本館4階から本館5階へ移転する。
7月
  • 大阪府から「大阪府小児中核病院」に指定される。
10月
地域医療サービスセンター
  • 地域医療サービスセンター、入退院サポートステーションを移転・拡充する。
11月
ICU1ICU2
  • ICU(集中治療室)を移転、全室個室化する。
2023年 令和5年 1月
デイ・サージャリー室
  • 本館3階にデイ・サージャリー室を開設する。
9月
  • 本館4階にハイブリッド手術室を含む手術室を増設する。