公益財団法人田附興風会は、医学研究所として病院を運営し、臨床研究を行っています。大阪市北区扇町にあり、急性期総合病院としての機能を有しております。本財団の設立は、東洋紡や日清紡ホールディングスの設立に関与するなど綿業界で活躍された大阪の実業家 田附政次郎氏が、京都帝国大学(現 京都大学)医学部で胸の病を癒されたことに感謝され、同大学の学術研究に資することを目的に提供された寄附金に基因します。
1925年、文部・内務両大臣の認許を受けて同大学医学部内に財団法人田附興風会医学研究所が設立され、1928年、研究事業遂行のための臨床医学研究用病院が大阪の地に付設されました。医学研究の拠点を大阪市内としたのは、当時の大阪市当局から熱心な要望があったことと、人家が稠密で生計繁忙な大阪市が医学研究の豊富な資料を得るのに至便であったことと、そして何よりも、寄附者である田附氏の「大阪市民に最新医学の恩恵を与えん」とする希望を尊重したことによります。
財団名は、京都帝国大学総長であった荒木寅三郎氏によって命名されました。病院名は、当初「嘉恵(かけい)」という名称が候補に挙がっていましたが、「平易が望ましい」とする田附氏の希望に基づき、大阪市長であった關一氏によって「北野」という名称が選定されました。これは、病院が建設される地区が「北野」と呼ばれていたことに由来します。
病院創設に向けて着々と準備を進めていた1927年に昭和金融恐慌が起き、財団基本金を預けていた近江銀行が突如閉鎖、財団基本金の一部が切り捨てられることとなりました。その煽りを受けて、病院規模を縮小せざるを得ない危機的状況に陥りましたが、初代理事長 今村新吉氏を始めとする創設時の幹部達の働きによって苦難を克服し、予定期日を幾許も違うことなく1928年2月、開院の運びに至りました。
病院の正面玄関にて
前列左端:今村理事長 前列左から2番目:田附政次郎氏
昭和金融恐慌後の日本経済界は不況続きで、開院すれども北野病院の名声はなかなか大阪の市民に知れ渡らず、厳しい経営状態が長く続きましたが、職員の献身的な協力を得て着実に院務を遂行してまいりした。当時、各診療科がそれぞれの顧問教授(京都帝国大学医学部)から直接指導を受け得たことは、北野病院の特筆すべき特色として評されました。
北野病院の看板
店舗よりも看板が大きい大阪の土地柄とはいえ、京都風を重んじる経営陣の多くは難色を示したという
逐年、日本経済界の不況も安定の域に達し、抜本的に病院経営の改善を推し進めた結果、1934年以降の7~8年間においては画期的な大発展を遂げ、隣接所有地を拡大させて、諸建築の斧鉞の音を聞かぬ年はないほどの黄金期を迎えることとなりました。
1934年頃の北野病院
ヨーロッパ風からアメリカ風の外観デザインに移行
しかし順風満帆な時代は長くは続かず、1939年に第二次世界大戦が勃発したことで終わりを告げます。数多くの病院職員が戦場に駆り出され、大阪大空襲で再起不能なまでの戦渦を被り、終戦を迎えた1945年には、連合国軍によって病院施設が接収される危機にさらされることになりました。幾度となく連合国軍衛生部隊長のサムス大佐に執拗な強談判を受けましたが、専務理事であった三浦百重氏が「米国では、個人の善意による寄附でできた病院を、寄附者の意思に反して取り上げることが認められますか」と問いかけたところ、大佐は一言の反論もなく沈黙し、1950年に病院施設は返還されました。
終戦後の不安定な社会情勢、資金の調達、医師の確保など課題は山積しておりましたが、地域住民からの北野病院復活の強い要望を受けて、188床での全館同時再開に踏み切りました。機械器具類・薬品に至るまで全てが借り物で、運転資金もほとんどない状況にありましたが、「医学に関する総合研究を行い、あわせて京都帝国大学(現 京都大学)医学部における学術研究を助成し、研究の成果の普及を図り、もって学術・文化の発展に寄与する」という財団創立の主旨を忘れることなく日々の診療に専念し、健全な経営基盤を確立させることに努めました。
再開院後の診療整備が一段落した1955年、まだ順調とは言いがたい経営状態にありましたが、研究活動を常に第一として考える第9代病院長 松浦篤実氏の決断により、戦争で途絶えていた「北野病院業績報告」が医学研究所機関誌「北野病院紀要」として再刊されることとなりました。当院は、医学研究所に付設した臨床病院という特性上、この出来事は研究熱心であった多くの医師達に希望と活力を与えることになりました。
その後、救急指定病院・臨床研修指定病院・日本育英会学資金返還免除対象研究所などの指定を受けるとともに、麻酔科・脳神経外科・神経内科といった新しい診療科も開設。1962年には510床、1981年には741床に増築し、急性期総合病院として大きく規模を発展させました。
1928年の創設から73年が経ち、建物の老朽化が激しかったため、2001年に現在の場所に新築移転。医療情報オーダリングシステムを拡充させ、ICU(集中治療室)・CCU(冠疾患集中治療室)・SCU(脳卒中集中治療室)・NICU(新生児特定集中治療室)を開設し、呼吸器・消化器・心臓・神経といった専門領域のセンター化を推進いたしました。さらに、大阪府がん診療拠点病院・地域医療支援病院・地域周産期母子医療センターなどの指定も受け、2011年には、財団法人から公益財団法人へと移行いたしました。現在、医学研究所は8の研究部門と治験管理センターで構成され、医学研究所付設の臨床病院として、また、大阪における高度先進医療の基幹病院として、時代の変化に遅れることなく歩み続けています。
2001竣工時の北野病院
1925年 | 大正14年 | 9月 |
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1928年 | 昭和 3年 | 2月 |
敷地:東西三七間、南北二九間。 |
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1929年 | 昭和4年 | 3月 |
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1930年 | 昭和5年 | 3月 |
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1935年 | 昭和10年 | 3月 |
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1938年 | 昭和13年 | 3月 |
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1941年 | 昭和16年 | 8月 |
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1945年 | 昭和20年 | 6月 |
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1950年 | 昭和25年 | 11月 |
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1951年 | 昭和26年 | 11月 |
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1952年 | 昭和27年 | 7月 |
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1954年 | 昭和29年 | 12月 |
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1955年 | 昭和30年 | 11月 |
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1956年 | 昭和31年 | 6月 |
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1957年 | 昭和32年 | 7月 |
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1958年 | 昭和33年 | 6月 |
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1959年 | 昭和34年 | 6月 |
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1961年 | 昭和36年 | 11月 |
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1962年 | 昭和37年 | 1月 |
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1980年 | 昭和55年 | 4月 |
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1983年 | 昭和58年 | 4月 |
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1985年 | 昭和60年 | 2月 |
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1986年 | 昭和61年 | 9月 |
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1993年 | 平成 5年 | 3月 |
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1998年 | 平成10年 | 4月 |
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