2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震に対し、北野病院では災害対策本部を設置して、1月9日から「AMAT(全日本病院医療支援班)」、2月28日から「JMAT(日本医師会災害医療チーム)」をそれぞれ派遣。異なる職種のメンバーがチームとして被災地で医療支援活動を行った様子をご紹介します。
AMATは「防ぎえる災害関連死を無くすこと」を、JMATは「地域医療の再生を支援すること」を目的として被災地へ派遣される医療チームです。どちらのチームも医師、看護師、業務調整員で構成し、今回AMATでは主に感染症や基礎疾患の治療を行い、JMATでは施設や避難所を中心に医療活動を行いました。
医師およびチームリーダーとして現地入りし、金沢市内周辺の避難所165カ所に対して他のJMAT8チームとともに巡回診療を行いました。医療資源が少ない中でいかに効率よく支援を実行するかが災害医療。迅速に判断し実践することを心がけました。長引く避難所生活に疲れ果てている患者さんも多く、身体の状態だけでなく心のケアも含めた診察をするよう気を配りました。
医師の診療補助や患者さんの心身状態の把握、栄養面や運動などの日常生活指導を中心に行いました。いつ再び大きな余震が発生するかわからない状況の中でもチームの力を発揮できるよう、密にコミュニケーションをとりながら活動しました。避難されている方が「巡回に来てくれてよかった」と安堵された様子を見たとき、災害看護へのやりがいを感じ、その後の活動への糧となりました。
チームが安全に活動を遂行できるようマネジメントする業務調整員としての役割とともに、「災害発生から継続して医療活動に尽力されていた現地医療スタッフを少しでも支えることができれば」と、調剤業務の補助にも加わりました。災害現場においても薬の専門家として期待される中で、医療技術の進歩による薬物治療の多様化に対応できるよう、幅広い知識やスキル取得の必要
性を実感しました。
業務調整員(ロジスティック担当)として、全日本病院協会や北野病院との連絡・調整、活動の記録、チームが使用する物品や食料・燃料・宿泊先の確保、さらに車移動時の安全な経路の確認や設定などを行いました。被災地の雪の影響や、被災地内の道路状況についての情報が不足している状況でしたが、医師・看護師を含む医療スタッフ全員が診療支援に集中できる環境作りに努めました。
実際に被災地に派遣され、現地の状況を見て、大震災が発するエネルギーの大きさを改めて痛感しました。能登半島地震は、1月1日という誰も想像していなかった日に発生しました。派遣された時はまだ断水中だったため、短期間の派遣であった私たちもトイレの 重要性を感じました。また、実際に被災者の方々にお会いした際、近親者の他界・受傷などの体験による絶望感や疲労感、身体活動への意欲低下などの心因的な問題をはじめ、薬や栄養面など様々な問題に直面しました。 災害というのは、起きた瞬間だけの出来事ではなく、被災後も多くの要因で慢性疾患や精神疾患の出現につながります。発災による北野病院では、災害医療の最大の目的である「一人でも多くの命を救う」ため、定期的に災害訓練を行っています。南海トラフを震源とする地震を想定したものや地域の合同災害訓練など、訓練の規模や内容も多岐にわたります。災害に直面した時、臨機応変な判断と的確な行動を素早く取れるよう、実体験に近い形での訓練を行っています。環境変化の中、どれだけ心と身体を日常に近い状態に保てるか。そのためには、日頃からの備えが欠かせません。例えば、防災のために準備したものの中に「お薬手帳」があれば、避難所 でも正確に、早くお薬をお渡しすることができます。災害への準備はとても大切ですので、みなさんも想定しながら必要なものを事前に揃えてみてください。
北野病院では、災害医療の最大の目的である「一人でも多くの命を救う」ため、定期的に災害訓練を行っています。南海トラフを震源とする地震を想定したものや地域の合同災害訓練など、訓練の規模や内容も多岐にわたります。災害に直面した時、臨機応変な判断と的確な行動を素早く取れるよう、実体験に近い形での訓練を行っています。