097―やるべきことは、先生と看護師の方が教えてくれた。なるほど、身体が弱ると食事もうまくはないし、動くのも億劫だ。それでも回復のためにはやるしかない。毎食無理やりでも完食して、昼間は病院内をひたすら歩いた。そうして予定通り1カ月余りで退院、日常を取り戻すことが出来た。復帰後は仕事の量を半分に落とした。おかげで、それまで仕事に追われてできなかった読書の時間が生まれた。病気で失ったものもあれば、得るものもあった。だが、そんな新たな生活を始めて5年目の2014年、安堵しかけた所に受けたPET検査で「膵臓の真ん中が光っている」と、再びガンを告げられた。今度は膵臓と脾臓を全摘出せねばならない。ショックではあったが、もう2回目、心の準備は出来ていた。落ち着いた気持ちで手術に臨み、今回も先生はきっちり仕事を果たしてくださった。内臓は空っぽ、先生からは「もう今まで通りにはいかないですよ」と釘を刺された。膵臓がないから、インスリンの自己注射で血糖コントロールをしていく。食事にも細心の注意が要る。生活の不便は必至だったが、術後のリハビリと同じく、やるべきことを果たせば生きてはいけるだろう。内臓がないのもまた“個性”だと割り切り、1カ月ほどで仕事に戻った。そして前以上に、健康管理に気を使いつつ、大阪から東京、海外を行き来しながら、建築・ボランティア活動を続け、今日に至っている。例え臓器を失おうとも、私の中の闘争心、挑戦心が衰えない限り、つくること=生きることをあきらめるつもりはない。結局、2度のガン手術を経ても、変わらず私は、自分がこうありたいと思う人生を、生きている。不安はあっても、先に進むのをためらう恐れはない。そんな風にいられるのは、身近な人々の支えと、そして、いつも最善を尽くしてくれる北野病院がそこにあるからだ。高齢化の進む日本社会、その変化にいまだ対応しきれない医療行政。現場の医師、看護師さん達は、まさにギリギリのところで闘っている。“人々のために”という尊い公共心、その誇りが、激務に耐える彼らの心の支えなのだろう。その見えざる献身で、私たちが住む都市の安全と安心は守られている。「地域医療」と呼ばれる地域の医療ネットワーク構築の課題。大小の病院、組織が境界を越えて連携し、総合的に地域住民の健康を守っていく。簡単な仕事ではないだろう。だが、志高く道を歩んできた北野病院ならば、人間同士の確かな信頼関係を頼りに、きっとその核となるべき任を果たしてくれるはずだ。私たち住民もまた、守られる側の責任を果たし、共に創るべき未来に向かっていきたい。そう考えている。
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