250703_北野病院100年史_並製本_単ページ
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090田附興風会 医学研究所北野病院 元副院長公益法人田附興風会 医学研究所北野病院が創立100周年を迎えたとのこと、すべての職員の皆様方に心から祝意を表します。多くの方々の普段の努力の賜物であり、かつて勤務した一人として感慨深く思います。私が副院長に就任したのは1996年2月26日です。院長は松田晉先生でしたが、私が副院長に任命された数カ月後に院長は髙月清先生に代わりました。先任の副院長は近藤明悳先生、井上欣也先生でした。日笠賴則院長の時代から北野病院の新築についてのプランが策定され、松田院長がそれを引き継ぎ、髙月院長になって新事業の第一歩が始まりました。近藤副院長、井上副院長が定年退職し、その後菅謙治先生、小中義照先生、高林有道先生が副院長に就任しましたが私が先任の副院長であったため髙月院長の指揮の下に新病院建設の責任者の役に就くことになりました。北野病院、融資団、日建設計、鴻池組をはじめとする共同企業体との合同会議に北野病院が提出した文書にその趣旨が記録されています。臨床神経学以外のことはまったく知らない人間にとんでもない仕事が飛び込んできました。慌てて企業経営・病院運営・病院建築などの参考書を読んだことを覚えています。まさにつけ刃です。新病院建設のための第一歩は建設地の問題を解決することでした。幸いと言うべきか少子化の影響で大阪市の小学校中学校の統廃合が始まっており、隣接の公立学校用地と旧北野病院の敷地が等価交換されることになりました。大阪市は新病院の建ぺい率についても好意的な決定をしてくれました。議論の詳細はもはや記憶していませんが新病院の総事業費は370億円と決まりました。今までは数万円単位のお金しか知らない私にとってはとてつもない金額であり、事業計画書など諸文書に記載される金額は一つ一つ桁を数えないと理解できませんでした。病院の自己資金はわずか15億円しかなく、そのほかは融資に頼らざるを得ませんでした。そのためまずメインバンクをそれまでの太陽神戸銀行から三井住友銀行・大和銀行に変更することになりました。当時の事務長や財団監事の奥田実氏がその交渉を行いました。医療事業団からも融資を受けましたが、その際には奥田監事の素晴らしい交渉術が効を奏しました。北野病院が公益法人であることも非常に有利に作用しました。今井 輝國副院長時代の思いで

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