② 事務組織の改変③ 新型コロナ対応089工事費用の工面をする過程で銀行借入金の問題にも遭いました。北野病院は元々、大和銀行(現・りそな銀行)がメインバンクでしたが、本館建築をきっかけに三井住友銀行がメインとなり、一部みずほ銀行、りそな銀行からも融資を受けていました。借入金の金利はかなり割高で、また、新館建築費用の算段をするにあたり、各銀行が融資金利を高めに揃えて提案してくるといういかにも日本的な状況もありました。この問題解消に事務部の伊藤部長が元銀行員という経験を生かして大いに活躍してくれました。近年の病院経営は厳しさを増しており、専門的に病院経営を切り盛り出来る人材を事務部に確保することが重要となっています。しかし、北野病院の事務部は、元々病棟詰所に配属されていた事務職員を寄せ集めて作ったもので、率直に言ってその機能が貧弱でした。藤井病院長の時代に、国立病院機構出身者を事務部長に採用するなどして、事務組織の近代化を進めてきてはいましたが、課長レベルの人材に大きな課題がありました。また、北野病院はその設立経緯の特殊性から、京都大学との円滑な提携が求められ、事務部においても京大と緊密な意思疎通ができる人材も求められています。私の在任中に元京大医学研究科事務部長であった川口さんに来ていただいたこと、また、関西学院大学医療経営専門職大学院の明石純教授(当時)から前述の伊藤部長を紹介していただいたこと、そして伊藤部長が中堅の優秀な人材を連れてきてくれたおかげで何とか事務部としての仕事ができる環境となったように思います。新型コロナ感染症は医療機関に大きな影響を与えました。2020年1月に国内1例目の感染者が発生し、2月にダイヤモンドプリンセス号で集団感染が発生した頃は、あれほど大きな社会的影響が出るとは想定できていませんでした。4月5月には街は死んだようになり、病院からは患者が消えました。当然、病院経営も極めて厳しい状況となり、このままの状況では早晩破綻は避けられないとの思いを強くしました。この時ほど公費収入がある公的病院を羨ましく思ったことはありません。その後、空床補償金が入るようになり、経営的には一息つける状況になりましたが、職員の感染が続発して人のやり繰りが難しいこともありました。この危機を乗り切るには、ICT活動のリーダーとなる医師の存在が不可欠ですが、幸い北野病院には丸毛部長がいて献身的に活動してくれました。ただ、当初は副部長であったためいろいろと動きにくかったこともあったかと思います。また、感染症認定看護師の頑張り、困難な時期に病床管理に貢献いただいた椎橋副看護部長、寺井看護部長にも感謝します。以上の3つの大きな出来事以外にも記憶に残っていることは沢山あります。武藤先生に研究所長として来ていただいたこと、北野カデット制度を創設したこと、亀山副看護部長を中心に地域医療サービスセンターの立て直しができたこと、また、リハビリテーション科、救急科、緩和ケアセンターの整備など京大医局人事に依存できない人材確保に苦労をしたことなど思い出に残っていることは尽きません。言うまでもありませんが、6年半の在職期間には各診療科の部長の先生をはじめ医師の皆さんにはもちろん、事務部、看護部、コメディカルの皆さんに大変にお世話になりました。心よりお礼を申し上げます。最後に北野病院のますますの発展を祈念して私の思い出話を終えたいと思います。
元のページ ../index.html#91