087それを返済しながら更に設備投資をしながら運営をするためには、病床稼働率が96%、利用率では90%以上が必要であることを伝えた。そのためには断らない医療を行う必要性があることを強く訴えた。会議は、幹部会議、運営企画会議、管理診療会議をそれぞれ月1回開催することにした。幹部会議では色々な項目の検討を行い、ここで立案されたものを病院の各部門の責任者が参加する会議である運営企画会議で議論して承認してもらい、これを各部門に周知徹底してもらう体制にしたのである。また、管理診療会議では各部門の前月の診療実績の報告を受けるとともに、事務で病院全体の収支をわかりやすくまとめて、病院の経営状態を赤裸々に職員に周知してもらう会議とした。これらの会議は、職員全員が参加する会議ではなかったが、出来るだけ職員全員が病院運営の実態を理解できる会議の形式にしたのである。超有名病院であったが予定入院患者数が少なく、病床稼働率を96%にするためには救急での受診率を上げて入院患者を確保することが必須であった。しかし、救急の現場では、北野病院での入院は差額ベッドですがという返事をすることで救急を断っている現状があることを知った。これは問題であった。それに対して、救急患者においては3日間の差額ベッド料金を免除して、以後病床の選択をしてもらう制度にした。こうしたことを決定して実行することにも相当の抵抗があったし、また診療科によっては絶対に救急はとらないという姿勢もあった。しかし、徐々に断らない救急の体制が出来るとともに、病床の稼働率が向上してきた。そして、満床状態になることが多くなってきた。そうすると、ベッドコントロールが極めて重要になる。これを看護部で責任をもって行ってもらうことで、病床稼働率が96%を維持できる体制になってきた。数カ月のうちに経営状態としてはキャッシュフローが回るようになり、健全な経営状態の病院になった。やればできるのであった。幸い着任初年から黒字経営に変わり、電子カルテのベンダー変更や、大阪市の借地であった病院の敷地を買い上げ、そして、医療福祉機構から借金していた病院建築費は返済して歴代の院長が背負っておられた抵当権を外すことが出来た。そのうえ、6年間で80億円以上の内部留保金が出来た。したがって、京都大学から北野病院の経営立て直しを命じられたことに対して、それなりの責任を果たすことが出来た6年間ではないかと考えている。この6年間の結果は、やればできると思って職員全員がその気で働いて下さったお陰であると思っている。当時の職員の皆様に心から感謝しているのである。
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