250703_北野病院100年史_並製本_単ページ
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086田附興風会 医学研究所北野病院 第18代病院長・第27代理事長(社会医療法人岡本病院(財団)理事長)2010年7月に京都大学から北野病院への赴任の打診があったとき、北野病院は超有名病院であるので誰が病院長であっても病院運営はできるのではないのですかと言って赴任を断ったが、大変な状態だから是非行ってくれないかと言われ、渋々引き受けたのであった。2011年4月から北野病院の病院長として10月から理事長兼任となり6年間経営に関わった。文字数の制限があるこの記念誌には、その間の大まかな流れしか記述できないと思う。着任にあたって北野病院の経営状態を調べてみたら、良くないことに驚いた。300億円の借金で建て替えた病院建築費が大変重くのしかかっていた。診療報酬という極めて利益率の低い収入源で経営している日本における病院は、入院および外来患者の数×診療報酬が最大の収入源である。北野病院ではそれに加えて差額病床運用による収入が加わっていた。この収入源に対して、医療材料費、人件費、医療機器購入費と維持費など膨大な支出がある。それに加えて300億円の返済費用が加わるのであるから北野病院の経営は容易ではないものであった。幸い、独立行政法人国立病院機構京都医療センターで同じような大きな赤字病院を再生させた経験を持っていたために、北野病院の問題点を簡単に見出すことができた。それを、4月1日に病院長として着任する日に着任の挨拶の中で所信表明しようとしたが、そのような着任の挨拶の儀式は北野ではしていませんと言われた。とんでもない病院に着任することになったと思った。出来るだけ多くの職員に参加してもらって、無理やりに所信表明を述べたが、北野病院では病院の運営は幹部会議というごく少数の人たちで議論されたものが通達されていただけであり、基本的に病院職員への病院運営方針の情報伝達が欠けていた。そこで、病院での会議のあり方を大きく変えた。会議は、検討された内容が病院の職員全体に行き届くことが出来るものであるべきであり、また日々の病院の病床運用などのデータを公表することと、月々の経営収支を分かり易い形でまとめて全職員に病院経営の実態を知ってもらうことが極めて重要である。したがって、そういったデータを作り検討と伝達できる会議を開催することとした。その中で、現在の病院の経営状態は極めて厳しい状態であることを伝えた。北野病院のように新しく病院を建て替えて多大な負債を抱えている病院が、藤井 信吾2011年から6年間、北野病院の経営に関わって

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