250703_北野病院100年史_並製本_単ページ
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005田附興風会 医学研究所北野病院は戦前より大阪の中枢病院として市民に愛され、また必要とされてきた長い歴史を持っております。私はこれまで京都大学大学院医学研究科・医学部長を任されていた際の第1期、第2期と2回の理事長職とその後の理事、評議員として経営側の一翼を担わせていただきました。また、利用者としては年に1度、毎年健康診断で日帰りや入院での人間ドックなどで大変お世話になりました。私の忘れられない記憶としては第1期の理事長時代、2000年の後半だったと思いますが、本館の新築改装工事にあたり、巨額の借入金を行ったときでした。理事長は連帯保証人として借入に同意するという責務を負っておりました。たしか当時300億円の借入金を進めるべく交渉がまとまっておりましたが、もっと高額を借り入れて、抜本的により良い病院にすべきだというご意見もあり、この両者の間で大変悩んだことを覚えております。連帯保証人とはご承知のとおり、もし北野病院が経営不振に陥った場合には300億の補填のために私が全財産を投げ打つことになります。幸か不幸か、私はこの時にゴルフで腰を痛めて起き上がれないような状況でありましたが、その中で借入金のことで両方の支持者の先生が来訪され、いろんな話を聞くことになり困惑した記憶を持っております。現在ではこのような制度が解消され、医学部長が理事長として経営に直接携わるのではなく、病院長が責任を持つという形になり、健全なことと思っております。いずれにせよ京都大学と北野病院とは切っても切れない長い歴史と現在でも京都大学関連病院の中でもナンバーワンの位置を占めており、今後も京大の優秀な人間が北野病院で研鑽を積むことを願っております。北野病院のますますの発展を祈念致しております。京都大学大学院医学研究科附属がん免疫総合研究センター センター長(田附興風会 医学研究所北野病院 第20代・22代理事長)祝 辞本庶 佑北野病院の思い出

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