250703_北野病院100年史_並製本_単ページ
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「3密」回避を要請した。3月には全国の小中学校が休校となり、東京オリンピックの延期も決定した。4月、新型インフルエンザ等特措法(2020年3月改正)に基づく「緊急事態宣言」が発出され、不要不急の外出自粛、イベントの開催制限、飲食店の営業短縮などが要請された。繁華街は人通りが途絶え、人々は不安を抱えながら外出を控えて自宅で過ごす「ステイホーム」の日々を送ることになった。0672020(令和2)年初頭から始まった新型コロナウイルスの感染拡大。これに対する当院の基本スタンスは、当初「通常診療重視」だった。元々大阪府には2019年のG20大阪サミットを機に策定された「感染症ネットワーク」という枠組みがあり、疑似症定点医療機関である当院は、感染症指定医療機関をサポートしつつも、主として通常の地域医療を担うと定められていたからだ。2020年2月初旬、本館1階救急センターの一画に感染症外来が設置されたが、診療対象は感染疑いのある軽症者に限定した。院内への持ち込みを阻止するため、入院患者の面会制限(3月より全面禁止)、入院中外来の制限、研修・学会などへの参加禁止、会議のオンライン開催、職員食堂の時間分散など、さまざまな対策が矢継ぎ早に実施された。東京、大阪など7都府県に初の緊急事態宣言が発出された4月7日、当院も各科部長など十数人からなる「新型コロナウイルス対策本部」を設置した。本部長には■村長久病院長が就任。感染制御対策室長の丸毛聡が病院長補佐として実質的な指揮にあたり、情報統合・共有を徹底することとなった。コロナ患者への対応方針も、この頃から急速に変化していった。4月7日の第1回会議では通常診療重視の基本方針を再確認したものの、1週間後の第2回会議では病棟準備について検討を行い、翌週には大阪府の要請に応え、受け入れ病院として手を挙げる方針を決定。14階西病棟10床をコロナ病床に充て、4月27日から軽症・中等症患者の受け入れを開始した。同年8月以降は、11階東病棟がコロナ専用病床となった。中等症・重症一体型病院へ感染第1波がようやく下火になった2020(令和2)年5月、大阪府は、感染拡大状況と医療のひっ迫状況を判断する府独自の指標「大阪モデル」を設定した。当院もこれに準じて、職員の行動規範を定めた「北野規制ステージ」を作成。院内や地域の感染レベルに応じて「青・黄・赤」の信号を設定し、各ステージごとに行動の可否を細かく規定した。信号は職員用メールソフトの初期画面に表示され、信号をクリックすると規制内容が一覧できる方法で周知徹底された。6月にはCOVID-19に特化した診療継続計画「コロナBCP」も策定された。「大阪モデル」と「北野規制ステージ」が初めて赤信号になったのは、第3波で感染者が急増した2020年12月。以後2年余り、感染波が押し寄せるたび、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の発出が繰り返され、通天閣や太陽の塔が赤く染まった。2021年3〜6月の第4波では、変異株のアルファ株による重症者が急増し、保健行政も医療機関もひっ迫した。とりわけ大阪は病床不足が深刻で、死亡者が全国最多となるなど、医療崩壊の危機に直面した。この痛手を教訓に医療提供体制の見直しを急いだ大阪府は、2021年7月、コロナ対応病院を「重点拠点病院」「中等症・重症一体型病院」「軽症中等症病院」に機能分化した。既に同年5月から重症者を受け入れていた当院は、「中等症・重症一体型病院①」(中等症・重症一体型病院のうち一定の規模・基準を満たす病院)の指定を受けた。これにより、フェーズ(災害級非常事態)においては重症7床、軽症・中等症21床の運用を求められることとなり、当院の責任と負荷は一段と高まった。対策本部設置、対応を強化感染症との苦闘

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