250703_北野病院100年史_並製本_単ページ
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060大阪連携たこやきの会当院の母体である田附興風会は、1925(大正14)年11月に財団法人として創立され、86年後の2011(平成23)年11月、内閣府より公益財団法人の認定を受けた。財団法人から公益財団法人への移行は、いわゆる「公益法人改革」に伴うもので、2008年の法改正によって、明治期から110年続いてきた公益法人制度の抜本的見直しが行われた。具体的には、一般財団(社団)法人は登記のみで設立可能になったが、公益財団(社団)法人は、法令の基準に基づき事業の公益性を判断した上で、内閣府や都道府県知事が認定することとなった。臨床医学研究という公益性の高い事業に携わる当財団は、公益財団法人の基準を十分満たすと考え、認定申請の手続きを進めた。しかし、その過程で思わぬ難問が持ち上がった。申請時に必要な「病院開設許可書」が見つからなかったのである。空襲被害によるものか、GHQ接収の影響か、はたまた増築や移転時の紛失か、原因も判明しなかった。やむなく担当者が大阪府庁に赴き、地下倉庫を数日間探索してもらったところ、色褪せた一枚の文書が見つかった。接収解除後、大阪府が当院の再開設を認めた約60年前の許可書である。これによって申請書類が整い、当財団は無事、公益財団法人に認定された。貴重な「古文書発掘」であった。具体的には「2人の主治医がいる安心」をキャッチフレーズに、登録医制度・開放型病床の推奨、地域医療連携システム・かかりつけ医データベースの運用、がん相談支援センターの開設、地域連携クリニカルパス(治療計画書)の作成などを精力的に推進。地域医師会との合同勉強会や研修会も頻繁に開催し、情報共有に努めた。また医療連携実務者の情報交流の必要性にも着目し、「大阪連携たこやきの会(大阪地域医療連携合同協議会)」の立ち上げを先導。2008(平成20)年の第1回協議会を当院プラナホールで行った。なお当院は同時期、大阪府「地域周産期母子医療センター」(2010年)、骨髄移植推進財団「非血縁者間骨髄移植施設」(2011年)、人間ドック健診専門医研修施設(2015年)、大阪府「難病診療連携拠点病院」(2018年)などの認定も受けている。翌2009年11月、当院は大阪府より「地域医療支援病院」の承認を受けた。 地域医療支援病院は、1997年の医療法改正で制度化された医療機関の機能別区分のひとつで、病床数200床以上、紹介患者数比率80%以上、高額医療機器や病床の共同利用、24時間体制の救急医療提供などの規定がある。当院はこれらの要件を満たし、名実ともに地域の中核病院であると評価されることとなった。大阪府庁地下倉庫で発掘した 「古文書」が証拠に──公益財団法人認定の顛末column

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