250703_北野病院100年史_並製本_単ページ
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0542001(平成13)年に誕生した新病院は、ドームのような半円形と開放感あふれる吹き抜け構造が特徴的なデザイン。その象徴ともいえる空間が、5階中央部に設けられたイベントスペース「プラナホール」だ。プラナとは「生命力」を表すサンスクリット語。明るい自然光が降り注ぐ開放的な空間で、癒やしのひとときを過ごしてほしいという願いを込めて名付けられた。プラナホールにはパイプオルガンやグランドピアノも設置されており、クラシックから演歌まで、さまざまな音楽が楽しまれてきたが、中でも「まるで神様のプレゼントのようだ」と評された伝説の演奏会がある。世界的チェリスト、ミッシャ・マイスキー氏のスペシャルコンサートである。2006年4月、来日公演のため大阪を訪れていたマイスキー氏は、過密日程の合間を縫って当院を訪問。ハードスケジュールによる体調不良を治療した後、プラナホールでバッハの無伴奏チェロ組曲など数曲を演奏した。その魂を揺さぶる音色はホールから病棟階まで響き渡り、病と闘う多くの人々にとって忘れがたい至福の時間となった。マイスキー氏のコンサートの様子2002(平成14)年、巨額の借入金返済が始まり、当院の財政は一段とひっ迫した。翌2003年4月、第16代病院長に就任した山岡義生は、負債の大きさに沈みがちだった院内のムードを一掃すべく、さまざまな改革を断行していった。中期経営計画の始動新病院棟完成という華々しいトピックスで21世紀のスタートを切ったが、当院の内実は極めて厳しいものだった。バブル経済崩壊後、日本は長引くデフレ不況に苦しみ、あらゆる分野でコスト削減が至上命題となっていた。医療も例外ではなく、2002(平成14)年度の診療報酬は制度発足以来初のマイナス改定に。さらに、2001年に発足した小泉政権は「聖域なき構造改革」のひとつとして医療制度改革を掲げ、医療費の適正化、後期高齢者医療制度の創設、医療分野の規制緩和などを推し進めた。このような外部要因に加え、新病院建設に要した巨額のコストも経営を圧迫した。有利子負債総額は355億円に上り、2001年は移転に伴う費用や診療抑制もあり、業績の悪化は避けられない状況だった。この難局を乗り切るためには、全職員が一丸となって経営努力を行っていくしかない。そう考えた髙月病院長以下経営陣は、2001年9月、当院初の中期経営計画を発表。「医療の質と経済性を両立した21世紀型エクセレントホスピタルをめざす」との基本方針を明らかにした。経営改革の具体策としては、徹底したコスト管理体制の確立、人事制度・組織の抜本的改革、顧客満足の向上、IT化の推進などが示された。財政基盤安定化を急ぐまずは、従来は個別に動いていた各科病棟と救急外来の当直制度を一本化し、診療科間の連携をあのミッシャ・マイスキーも演奏──病と闘う人々を癒す「プラナホール」エクセレントホスピタルをめざしてcolumn

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