1985(昭和60)年から2000(平成12)年まで4回にわたって改正された医療法。この時期、医療機関の機能分化と並んで改正の主眼とされたのが、情報提供の推進である。1992年の第2次改正では医療者と患者との信頼関係など、医療提供の理念が初めて明記された。1997年の第3次改正では、インフォームド・コンセント(患者に対する十分な説明と同意)の努力義務規定が整備されている。当院においては、従前より患者との信頼関係構築を重視してきたものの、このような時代の要請も受け、新たな情報提供の取り組みも開始した。例えば、患者やその家族に疾病と治療法をわかりやすく解説する「市民医療講座」を1990年代後半にスタート。やがて地域住民にも門戸を広げ、2023(令和5)年6月以降は「みんなの医療セミナー」と改称され、市民向けの無料講座として開催を継続している。2001(平成13)年には患者向け広報誌『きたの通信』を創刊した。こちらも疾病の解説から最新の治療法や予防法、健康維持のコツまで、医療情報満載の内容で季刊発行。2021(令和3)年に『きたの広報』にリニューアルし、さらに2024年には患者向け情報誌『kitanoto:(きたのと)』に大きく姿を変え現在に至っている。 051──インフォームド・コンセント時代の情報発信2000(平成12)年3月、当院は大阪市北区神山町に特別養護老人ホーム(入所定員50人)とショートステイ(同5人)を備えた6階建ての「北野よろこび苑」を開設した。院内には診療所も設置し、高齢者医療と地域福祉のための新たな取り組みを始めた。北野よろこび苑の開設は、大阪市の北区在宅サービスセンター北隣に特別養護老人ホーム建設が計画されていることを知り、当院にも近いことから名乗りを上げたのが発端である。1998年に大阪市の合意を得て運営主体の設立を開始。1999年、北区に本社を置く民間企業・ナカジマ鋼管株式会社との共同出資により、社会福祉法人北慶会を設立した。「北野よろこび苑」の開設施設名は1996年から病院長(第15代)の職にあった髙月清が命名した。法人役員には当院の髙月病院長以下3人のみならず、北区医師会や弁護士、公認会計士など多数の地元関係者が名を連ね、地域包括ケア時代の幕開けにふさわしい運営体制となった。日本人の平均寿命は1984(昭和59)年、女性は79.8歳、男性は74.2歳となり、厚生省は「男女ともに世界一の長寿国」と発表した。高齢化の進展に伴って、日常的なケアを必要とする高齢者は年々増加し、その受け皿となる施設や制度整備が喫緊の課題となった。そこでまず1986年、医療と福祉の中間施設として「老人保健施設」が創設された。1989(平成元)年には、ホームヘルプ、デイサービス、ショートステイなどの在宅福祉施策に重点を置く「高齢者保健福祉推進十カ年戦略(ゴールドプラン)」が策定された(1994年に大幅改定=新ゴールドプラン)。さらに1997年、要介護者の自立支援を目的とする介護保険法が成立。3年後の2000年に介護保険制度が導入され、要介護度に応じたケアサービスが受けられるようになった。医療講座も広報誌もcolumn
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