050病院設立以来、多くの患者から厚い信頼を寄せられてきた当院の診療技術。かつて、その確立に大きく寄与したユニークな取り組みがあった。通称「北野方式」と呼ばれた内科医育成システムである。当院の内科は1968(昭和43)年に、消化器内科、呼吸器内科、循環器内科、神経内科、内分泌内科、免疫血液内科の6分科体制となった(神経内科は1980年に内科から独立)。しかし、医員や研修医は専門科に分かれず、「内科」所属として順不同で入院患者を受け持った。各科の部長は入院患者の治療方針について責任を負い、症例に応じた指導を行うが、処方権は担当医にあった。研修医も同様に担当患者を持ち、各科部長や病棟主任の指導を受けながら日々の治療にあたった。回診は週に一度、6部長が同時に行った。2科以上にまたがる症例の場合は、治療方針に食い違いが出ないよう、事前に十分な調整も行われた。さらに、内科全員参加の症例検討会や勉強会も週1回ペースで実施された。こうした北野方式は、医療の専門化・細分化が趨すう勢せいとなる中、内科のgeneral medicine面の弱体化を危惧した当時の部長たちが工夫して編み出したものだった。現在の総合診療の先駆けとも言える取り組みでもあり、若き研修医にとっては実力を養う格好の教室でもあった。──内科6分科が連携した「北野方式」の先進性神経内科が内科から独立し、単独の診療科となった。1983年、神経内科と脳神経外科が連携して脳神経疾患の治療にあたる神経センターが開設された。1998年には脳卒中センターも開設された。医療制度改革が進むこうした状況を受けて、1983年の老人保健法施行によって、高齢者医療費の実質無料化は廃止された。翌1984年には健康保険法が改正され、被用者保険本人は1割負担に。以後も段階的な引き上げが実施され、2003(平成15)年から本人・家族とも3割負担となった。その後、医療法は1992年(平成4年=第2次改正)、1997年(第3次改正)、2000年(第4次改正)と数年おきに見直され、医療機関の体系化・機能分化が進められた。このうち、第3次改正では総合病院の規定が廃止され、新たに一定の要件を満たす中核病院を「地域医療支援病院」とする制度が発足した。当院も2009年に大阪府より地域医療支援病院の承認を受けることとなった。1973(昭和48)年にスタートした高齢者医療費無料化政策は、医療へのアクセシビリティを向上させた一方で、保険財政の悪化、病院のサロン化、社会的入院の増加といった諸問題を生み出した。1979年には第2次オイルショックが発生し、経済成長の鈍化傾向は一段と鮮明になった。1985(昭和60)年、医療機関の地域的偏在の是正を眼目に、医療法の大幅改正が行われた(第1次改正)。具体的には、都道府県ごとの実情に即した医療計画に沿って病院整備が進められることになり、私立病院の開業や増床についても一定の制約が課されるようになった。これにより病床の量的確保をめざした時代は終わりを告げ、当院も西館竣工時の741床がピークとなった。総合診療体制で実力を磨くcolumn
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