250703_北野病院100年史_並製本_単ページ
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章転換期の中で(1971〜2000)0481973(昭和48)年10月、第四次中東戦争を引き金とする第1次オイルショックが発生した。石油製品をはじめとする諸物価が暴騰し、景気は減速。翌年、日本経済は戦後初のマイナス成長を記録し、1950年代から20年近く続いた高度成長期は終焉を迎えた。明けには2,000人近くに及び、院内は混雑を極めた。入院待機者は九百余人に上り、手術室も手狭になるなど、まさに問題山積の状態であった。抜本的解決への道のり病院拡張の方法としては、本館の全面改築も検討されたが、スペースに余裕がなく、財政的にも難しいと判断された。また、本館は竣工から半世紀近く経つものの、駆体に損傷はなく、耐震性も問題ないと診断されたため、冷暖房設備やスプリンクラーの設置、アルミサッシ窓枠への更新、ボイラー取り換えなどの工事を順次実施していった。そして1979年4月、いよいよ増築工事計画が始動した。市道を挟んで当院西側に隣接する敷地1,435㎡(1962年に大阪市より譲渡され駐車場として利用)に増築した場合、上空で通路をつなぐことが認可され、別館の機能が果たせるめどが立ったのである。同年7月、佐藤愛二副院長をトップとする1972(昭和47)年から10年以上にわたって病院長(第12代)を務め、1976年から理事長(第13代)も兼務した長石忠三は、こうした状態の抜本的解決をめざし、一歩ずつ対策を進めた。まず1974年、本館中庭に2階建ての別館を増築し、眼科や外科の外来を拡充した。同年、病院増築時の看護師増員に備えて第二むつみ寮(看護師寮、第一むつみ寮は1969年竣工)を竣工し、保育所も開設した。「福祉元年」の波紋一方で1973年は、日本の医療福祉政策の大きな節目となった年でもある。オイルショック発生に先立つ同年1月、70歳以上の高齢者の医療費を実質無料化する「老人医療費支給制度」がスタートした。さらに政府は同年を「福祉元年」と銘打ち、健康保険の家族給付率引き上げ、高額療養費制度の創設、年金給付水準引き上げなどの施策を相次いで実施した。医師・歯科医師の確保も重要課題と位置づけられ、いわゆる一県一医大構想(無医大県の解消)も実行された。こうした施策の後押しに加えて、高度成長期に発生した諸問題(高齢化・核家族化の進展、成人病の増加、都市部への人口流入、公害・交通事故の多発など)の影響もあり、この時期の医療ニーズはかつてないほど増大した。地域の中核病院として信頼を得ていた当院にも、受診希望者が引きも切らずに押し寄せた。外来患者は1日平均1,650人、週末・週二度のオイルショック後、経済成長は鈍化する一方、医療ニーズは拡大の一途をたどった日本社会。当院も患者数急増に応えて西館を増築、病床数は過去最大となった。さらに特別養護老人ホーム「北野よろこび苑」を開設し、超高齢化時代への布石も打った。病床数が最大規模に44第

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