章北野病院の誕生(1925〜1930)036創立者 田附政次郎初代理事長 今村新吉附将軍」の異名を取った。また金巾製織(近江商人たちが設立した紡績会社。現・東洋紡株式会社)や、江商(政次郎らが設立した綿糸輸入商社。現・兼松株式会社)の経営にも携わった。政次郎は実業家として辣腕を振るう一方、社会への利益還元にも熱心だった。とりわけ医療や教育分野への関心が高く、帝塚山学院、神崎商業学校(現・滋賀県立八日市南高等学校)、豊郷病院(滋賀県犬上郡豊郷町に現存する公益財団法人豊郷病院。政次郎の縁戚・伊藤長兵衛の寄付により設立)などの設立に尽力した。1909年、膿■■■■■胸を患った政次郎は、京都帝国大学医科大学附属医院(現・京都大学医学部附属病院。以後、京大・京大病院と記載)を受診、二度の手術を経て快癒した。これが政次郎と当院の母体とも言える京大病院との初縁である。創立者・田附政次郎公益財団法人田附興風会 医学研究所北野病院(以後、当院と記載)は、今から約100年前の1928(昭和3)年に、大阪の実業家・田附政次郎の寄付金をもとに設立された臨床医学研究用病院である。創立者の田附政次郎は、江戸時代末期の1864(文久3)年、現在の滋賀県東近江市に生まれた。幼くして父を亡くした政次郎は、叔父の伊藤忠兵衛(伊藤忠商事・丸紅創始者)が経営する呉服店での丁稚奉公や、故郷・近江での行商などを経て独立し、1902(明治35)年、大阪本町に綿糸問屋の田附商店を創設。持ち前の才覚を発揮して事業を繁栄させるとともに、綿糸相場師としても大いに活躍し、「田普通選挙法が公布され、ラジオ放送が開始された1925(大正14)年、とある実業家の篤志によって財団が創立され、その数年後に臨床医学研究用病院が設立された。以来約1世紀、時代や社会の変化を乗り越え、今日まで歩み続けてきた「公益財団法人田附興風会 医学研究所北野病院」である。田附興風会の創立11第
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