250703_北野病院100年史_並製本_単ページ
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219 ええ。北野病院は戦後の病院再開15周年と30周年に記念誌を発行していますが、そこに掲載されていた寄稿を読むと、何人もの方が“人の和”という言葉を使っていたんですね。 例えば、京大医学部長や総長を歴任され、北野病院の評議員も務められた平澤興先生は「大切なのは人の和である。この点では北野病院の現状は誠に幸福というほかない」「北野病院がきびしい戦後の困難の中で、よく今日の繁栄をもたらし得た最大の要因はやはり人の和にあった」など、何度も“人の和”に言及しています。同様の主旨の記述は他の寄稿にも見られます。私なりにその理由を考えましたが、北野病院は京大との関係こそ強固であるものの、公立病院でもなければ医療グループにも属していない。どこかに頼れる母体があるわけではないからこそ、「自分たちが力を合わせていくしかない」という共通認識が根底にあったのではないかと推測しています。 ええ、そう思います。先ほど四半世紀くらい先を見据える必要があるという話もしましたが、現役世代の人口がどんどん減少すると、病院も人手が足りなくなる恐れがあります。AIやロボットの活用も避けて通れないテーマです。しかしながら、最後はやはり人の力です。先人たちが立ち向かったものとは全く違う種類かもしれませんが、我々も人の和を大切にし、力を合わせて困難を乗り越えていきたいと思います。 そうした思いも込めてリブランディングのプロジェクトで議論を重ね、「人の和」を含めたフレーズを、次の100年をめざす新たなブランドメッセージとして掲げることにしました。まだ準備中ではありますが、これから内外に向けて定着を図っていこうと考えています。 ─最後に改めて、患者さんや職員などステークホルダーの皆さんへのメッセージをお願いします。 繰り返しになりますが、患者さんに対しては「最善の医療を提供することで信頼に応え続けていくこと」が何より大事だと考えています。職員には常々「ここで働いて良かった」「自分の家族にも働いてもらいたい」と思ってもらえるような病院にしたいと言っています。 経営の世界には「三方良し」という有名な言葉があります。売手、買手、世間の三者とも満足する状態を理想とする近江商人の経営哲学とされています。財団創立者の田附政次郎氏も近江出身の実業家ですから、この言葉になぞらえて言うと、北野病院がめざすのは「患者さんに良し、職員に良し、社会に良し」。患者さんは「北野病院で治療できて良かった」と思い、職員も「働けて良かった」と思う。さらに、北野病院がここ大阪の地にあることで地域医療が充実し、より良い社会の一助となる。そんな「三方良し」の病院であり続けたいと願っています。患者さんに良し、職員に良し、社会に良し これからも「三方良し」の病院をめざして─先ほど「100周年を機に過去の記録に目を通した」というお話がありました。その記録の中で、特に印象的な記述があったそうですね。─“人の和”を重視するのも、北野病院の歴史が育んだ大切なマインドということですね。

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