250703_北野病院100年史_並製本_単ページ
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215 そうです。当時は大学病院でローテート研修した後、別の病院に赴任するのが一般的で、私も京大病院で1年間過ごし、2年目に北野病院へ来ました。 今まであまり話したことはありませんが、実は研修先が北野病院になったのは偶然だったんですよ。最初は別の病院に希望を出したんですが、抽選に外れてしまい、「さて、どうしよう……」と思案していた時、北野病院に空きが出たんです。当時から北野病院は人気の研修先でしたが、ダブルブッキングの手違いがあったようでたまたま1枠空いたので、これ幸いとばかりに飛びついたわけです(笑)。 そんな経緯でしたが、研修医として1年、医員として1年過ごした日々は、非常に充実した意義深いものでした。粟粒結核で昏睡状態だった患者さんが1カ月後に意識を回復される現場を経験したり、白血病が寛解した患者さんから結婚式に招待されたり、忘れられない出来事がたくさんありました。また、医局の同僚や看護師たちと旅行に行ったり、海水浴に行ったり、仕事以外でも楽しい思い出がたくさん残っています。とにかく忙しい毎日でしたが、北野病院で過ごした2年間は、間違いなく医師としての私の“芯”になったと思っています。 周知のとおり、北野病院は実業家の田附政次郎さんが京大病院で胸の手術を受け、快癒したことに感謝して、多額の寄付をしてくださってできた病院です。成り立ちからして京大との縁が深く、歴代理事長も京大医学部長が非常勤で務めるのが慣例でした。 しかし、病院創設から100年が過ぎ、今や医療も病院経営も高度化・複雑化しています。また、北野病院は職員数約1,700人という大きな組織ですから、日々さまざまな課題が持ち上がります。それらすべてを非常勤の理事長が把握するのは現実的に困難ですし、病院長1人ではガバナンスが効きにくいので、専任の理事長を置こうということになりました。 とはいえ、それによって京大との関係が弱くなったわけではありません。副理事長には京大医学部長に就いていただき、2人代表理事という体制です。これまでどおり、大学とも緊密に連携しながら、常勤理事長・病院長の二人三脚でガバナンスを強化していく狙いです。 私は京大に17年ほどいましたし、京大病院の病院長も務めましたので、大学や医学会にはかなり広いネットワークを持っています。そうした経験や人脈を活かした働きかけをしたり、人的交流を深めたりといった渉外的な部分は主に私の役割専任理事長・病院長の二人三脚で、高度化・複雑化した病院経営に臨む─まず、稲垣理事長と北野病院の関わりからお聞かせください。昔は北野病院で研修をされたんですよね?─それから40年近い歳月を経て、2022(令和4)年10月、第30代理事長に就任されました。北野病院としては初の専任理事長です。─理事長と病院長の役割分担についてはどのようにお考えですか?

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