210旧館外来階(2001年)高峰 景敏 放射線部技師長いでしたが、それを何セットも買っていただいて。完全にフィルムレスに置き換わるまで10年くらいかかりました。福井 電子カルテが入ったのも同時期でしたっけ?高峰 その時はオーダリングシステムです。それまでは紙の伝票でレントゲンをオーダーしたり、レポートも紙に書いたりしていたのが、デジタルに切り替わりました。本館建設は単に建物が新しくなっただけじゃなく、そこにいろんなシステムが入ってきたという意味でも大きな変化でしたね。北村 変わったといえば、患者さんの居住環境もとても快適になりましたね。大部屋でも4床すべてに窓が付いて外が見えますし、プラナホールからの吹き抜けも開放感があって、リゾートホテルみたいです。叶迫 本当に気持ちの良い空間ですよね。本館工事を担当した私の元上司は「施工が大変だったんだよ。光熱費もかかるんだよ」とぼやいていましたが(笑)、あの開放感は何ものにも代えがたいですね。福井 この本館建設は、髙月院長や奥田監事をはじめ、当時の経営陣のご尽力で実現したものです。敷地はもう目一杯で建て替えられない、新しい土地を買うお金もないという時に、たまたま隣の2つの中学校の統合話が持ち上がったわけですが、大阪市との土地交換の交渉から資金調達まで、非常にご苦労されたと聞いています。大変だったと想像しますが、私たちにとっては本当に大きな希望になりましたね。高峰 現在の本館ができた時、以前は地下にあったCT室が本館1階の救急室の隣になり、移動時間がかなり短縮されました。それは非常に良かったと思いましたが、さらに画期的だと感心したのは、2023(令和5)年、新館建設から本館リノベーションへ、医療ニーズの変化に合わせ中身を変える
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