北村 昭子 外来B・Cブロック看護師長209ちの患者さんが本館の玄関からはみ出して、中庭にまで並ぶほどでした。福井 婦人科、眼科、神経内科などは特にレベルが高いと評判でしたからね。それに、医師だけでなく看護師さんのレベルも素晴らしかった。研修医時代には病棟の看護主任に厳しく指導されました。北村 怖かったですか?福井 ものすごく怖かった(笑)。でも、それだけの知識や経験、スキルを持っているからこそ頼りになるんです。レントゲンフィルムが届くと真っ先に看護主任さんが確認していました。放射線科の技師さんも大変厳しい人でしたけど、プロ意識が素晴らしかった。本当にあの頃の北野病院は「人でもっていた」という感じでしたね。北村 人といえば、職員同士のチームワークも良かったですよね。当時は職員旅行やバレーボール大会、ソフトボール大会などもありましたし、横のつながりがすごく強かった気がします。福井 あと、建物は古いままでしたが、CTを導入したのは早かったですよね。高峰 EMIという会社のCTスキャナーが導入されたのが1977(昭和52)年。たしか日本の病院では初めてだったと記憶していますが、いずれにしても、当時としては画期的なことだったと思います。高峰 放射線科も引っ越し自体は1日で終わりましたが、その前の装置の接続は結構大変でした。かなり直前まで建物に入れなかったので時間がなくて、何日か泊まり込みで作業をした思い出があります。福井 設備はほぼ一新されましたからね。高峰 放射線科はまさに一新でした。窓のない暗いところでフィルムを扱う時代から、一気にコンピュータ化、デジタル化が進んで、モニター診断が基本の時代になりました。当時はモニター2面1セットが300万円くら13)年に現在の本館が新築されました。福井 私はちょうど半年前に再赴任したので、最初の仕事が引っ越しの準備でした。人工呼吸器の患者さんをどうやって移すのかとか、何度も打ち合わせをしたように記憶しています。ただ、移転は1日か2日で問題なく済みました。先人の決断と尽力で本館竣工、医療システムもサービスも新時代に──そうした時代を経て、2001(平成
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