250703_北野病院100年史_並製本_単ページ
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旧本館(1980年)20713)年に再着任しました。最初に着任した頃は、継ぎ足しの繰り返しで造られた建物がたくさんあって、まるで巨大迷路のようでした。それに、どこもかしこも古くて狭かった。待合室はいつも患者さんであふれ返っていたし、「カルテの保管場所がない」と言って、職員がはしごを上って外来の天井裏に収納していました。廊下が京都のお寺みたいにキイキイ鳴っていたのも忘れられません(笑)。北村 私は、西館が完成する前年の1980年に看護助手として入職しました。当時は本館1階に外来診察室、2〜4階には一部外来や入院病棟、会議室などがあって、中新館や新館はほぼ入院病棟だったと思います。本館と新館をつなぐ中新館の中央にエレベーターがあったんですが、それが蛇腹扉の手動式で、フロアインジケーターも時計針。看護助手だったので、患者さんの付き添いで一日に何度もそのレトロなエレベーターに乗り、ガラガラと扉を開け閉めしたのを覚えています。福井 私は1986年に研修医として着任し、3年ほど勤務した後に大学院に戻り、2001(平成高峰 私は1991年に入職しました。その頃、西館はまだ新しくて綺麗でしたが、それ以外は本当に古くて不便でした。救急室は本館、CT室は新館の地下にあったので、救急で運ばれた患者さんのCTが必要になると、本館1階から中新館を経由し、新館地下1階まで建物の端から端まで移動するため、何分もかかりました。しかも各館の高さが少しずつ違い、段差やスロープがあるなど、患者さんでごった返す中を通り抜けて行くような状況でとても不便でした。叶迫 私は準大手ゼネコンに15年ほど勤めた後、2009年に入職しました。現在の本館工事を担当され、こちらへ転職した元上司に誘われたのがきっかけです。皆さんに比べると新参者なので昔のことは分かりませんが、実は前の会社に就職する際に「健康診断に行ってこい」と言われ、指定されたのが北野病院でした。「さぞかし近代的で綺麗な病院なんだろう」と勝手に想像していましたが、一歩踏み入ると天井は低いし、配管は剥き出し(笑)。すごくびっくりしたのを覚えています。迷路のような館内、レトロなエレベーター、数々の段差……我が思い出の北野病院──1926(大正15)年に起工した当院は、戦前に「中新館」、戦後に「新館」、「別館」を増設し、1981(昭和56)年には「西館」を完成させました。皆さんはいつの時代からご存じですか?

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