250703_北野病院100年史_並製本_単ページ
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017山岡: 今お話に出たように、北野病院は戦後のGHQ接収を経て1950(昭和25)年に再開院するわけですが、その後は医療ニーズの急拡大に施設整備が追いつかず、“きたの病院”ならぬ“きたない病院”などと呼ばれた時代もあったようです(笑)。その頃に一番詳しいのは、稲垣先生ですね。稲垣: そうですね。私は秦先生と同級の1984(昭和59)年卒で、翌1985年に研修医として北野病院に赴任しましたが、当時はまさに“きたない病院”でした(笑)。1981年に竣工した西館だけは綺麗でしたが、本館の廊下は歩くとギーギーと音が鳴るし、外来待合室は狭くて座る場所もない。毎日2,000人近い患者さんが来られましたが、皆さん立って待っていらっしゃるので本当にびっくりしました。今でも忘れられない光景です。山岡: そういう時代を経て、2001(平成13)年に新病院、現在の本館が完成します。当時病院長だった髙月清先生などが大変なエネルギーを注がれて、見違えるように素晴らしい建物が出来上がって。それで一気に病院機能が向上し、イメージも一新しましたが、財政的には非常に苦しい局面でしたね。稲垣: 北野病院の100年の歴史は、借金との闘いの連続でもありました。中でも重大な危機が3回あって、最初は開院直前の昭和金融恐慌。次が、先ほども話題に上がった接収解除後の再開院時。そして3回目が新病院建設で多大な額の負債を抱えた2000年代です。山岡: 秦先生が来られたのは、まさに3回目の頃秦: ええ、私は2002(平成14)年5月に着任しました。新病院への移転が完了して一段落した頃でしたが、その年から借金返済が始まった関係で、着任早々ボーナスが5割カットされました(笑)。医師仲間からは「エですね。新病院建設で抱えた巨額負債「攻めの改革」で財政危機を克服する

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