250703_北野病院100年史_並製本_単ページ
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翌2001年に木内俊一郎先生が来られ、病院の新築(2001年9月1日)に合わせて本格的にスタートしました。しかし残念ながら、2000年以前の救急医療のレベルは十分ではなく救急隊員からの信頼が薄かったので、年間の救急搬送数は2,800件(救急患者総数9,000人)程度でした。そのため、質の高い救急医療の提供を地道に続け、また救急隊員や地域医療機関との勉強会や協議会を重ね「顔の見える救急医療」を心掛けました。医師の充実も図り、一時は5人体制となったこともあります。また歴代の院長先生方も、当時としては斬新な「断らない救急」をスローガンとして救急に力を注いだこともあり、2011年には同7,000件(同2万3,000人)となりました。2022年には主任部長として平川昭彦先生を迎え、2023年度は同1万2,500件(同2万7,000人)を超え、全国でも有数の救急医療機関となりました。122電力病院院長)が救急部部長を兼務した形で始まりました。科・部署のあゆみ北野病院の救急医療はまだ旧病院であった2000年に消化器外科の副部長であった滝■郎先生(現・関西今後も救急科一同、強い熱意と誠意をもって地域の救急医療に取り組む所存でございます。現況・取り組み近年の予期せぬ自然災害に対して、人の力の限界を感じたところもありました。一方で、災害救急や支援活動の必要性を医師や行政だけでなく一般の方も大いに感じたのではないでしょうか。救急科は大阪市北区役所や医師会などと合同で、災害訓練も含めた災害医療に取り組んでおり、能登半島地震への支援活動も病院全体で実施しております。救急科

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