0101925年に創立された北野病院(財団)が100周年を迎えることができ、心より嬉しく思うとともに、多くの困難を乗り越えながら、今日まで病院(財団)の運営、発展にご尽力いただいた皆様に、深く感謝したいと思います。私の曽祖父・田附政次郎は、京大病院に、この上なく行き届いた治療と親身な対応をしていただいたことから、北野病院が京都大学、京大病院と密接に連携しながら臨床医学研究病院として、臨床に基づく医学研究を行いながら、政次郎の事業基盤であった大阪で社会的貢献をすることも願い、財団の創立に至りました。幸い、財団創立以来多くの京都大学その他の関係者と地元の方々にご協力、ご尽力をいただき、臨床と研究を結びつけながら最高、最先端の医療に携わるという創立の趣旨、病院の特色が100年間維持発展され、今日に至っていることは本当にありがたいことだと思います。私は、曽祖父が北野病院を設立したことを高校生の時に姉から聞き、何らかの形で創立の趣旨に合う仕事をしたいと思ったことが、医師という職業を選ぶきっかけになりました。UC San Diego医学生時代には、北野病院で神経内科実習のローテーションもさせていただき、大変お世話になりました。大学病院での勤務、基礎医学研究などを経験した後、現在は、カリフォルニアにおいて生殖医療の分野で臨床実務、医院経営に携わっており、日々多くの患者に接していますが、最先端の医学研究がどのように医療の進歩につながり、大切であるかを、肌をもって感じております。財団創立以来、京都大学医学部の先生方が北野病院にご協力いただき、最先端の研究と医療の実践が続けられております。第20代、第22代の通算6年にわたって財団の理事長を務められ、当時評議員に就任されていた本庶佑博士が、2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞されたことは、財団にとっても大変な名誉であり、喜ばしいことでした。100周年記念式典で、iPS細胞、regenerative medicineでノーベル賞を受賞された山中伸弥博士にご講演いただけるのも、大変光栄なことです。北野病院の歴史をまとめた北野病院紀要を読ませていただき、当時最先端の日本で2台目のレントゲン機器をヨーロッパから求めた際、それがノーベル賞受賞者のマリ・キュリー博士ご自身が機能を証明された機器であったこと、近時でも、内視鏡手術支援ロボット「ダヴィンチ」、X 線デジタル透視撮影装置、その他最新の医療機器システムを導入されていることを知りましたが、これも関係者皆様の研究、医療に対する高い意識の表れだと思います。田附興風会 理事田附 いく子財団創立100周年を迎えて
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