1021.事務部長就任当時私が事務部長に在籍したのは、2001年7月〜就任に先立つ4月に新病院を訪ねた折、旧病院の薄暗い通用口から、白亜の殿堂のような新病院の威容に接した時は衝撃的だった。そして今までの平凡な人生から、突然未知の世界に転身する願望に駆られ、これが本職に就く主な動機となったようだ。当時は、2001年9月の新病院開院に向け「最先端の新北野病院」を創ろうと、病院全体に革新の気運がみなぎっていた。事務部は最も革新すべき分野とされていたが、具体的な施策展開は緒に就いたばかりで、私はスタートの遅れを取り戻す為に、慌しく新築披露見学会や外来予行演習などを経て、待望の開院初日を迎えた。以来17年が経過したが、印象的な事柄を以下に綴ってみたい。2.開院当初の混乱新病院は、最新鋭の設計・設備および最先端のITシステムを備え、受付から外来診療にわたるシステムと業務基準は一新された。周到な準備にも拘らず「下駄を履くまで分からない」の仮令通り、2004年8月迄であった。田附興風会 医学研究所北野病院 元事務部長開院初日から混乱した。その原因は外来者の新システムへの不適応や電子カルテ作成への医師の不慣れなどにあったが、開院初日の外来診療は夜間に及び、外線電話の麻痺や患者様のお叱りなども殺到し、当分の間その収拾に奔走する毎日が続いた。3.事務部の中核人材の充足事務部が直面する課題に対処するには、人材不足が痛感され、開院直前に人事課長や経理課長などの中核人材の新規採用を実施した。彼らは院内に新風を吹き込み、組織風土の変革に貢献した。併せて、関係企業にも職員派遣を要請し人材の充実確保に努めた。4.企画調査室特別顧問の新設私の就任に先立ち、病院全体の組織体制の刷新の為に、企画調査室特別顧問が新設され外部コンサルタントを導入し、病院全体にわたる方針・目標が創られ、当面の収支改善策として、入院稼働率の向上や外注化による人件費削減が進められていた。事務部の施策展開においても、的確な指導助言を受けた。白須 章文事務部長在任当時の思い出
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