101療機器・備品の点検と調達など各部門と協力して取り組んだ。病室の設計には特に留意し、741床のうち半分は個室に、総室は4人室を中心として各ベッドサイドに窓を設置、産科にはLDRを導入した。療養環境はもとより働く職員の導線にも留意してナースステーションを中央に配置した構造とした。旧病院で通常の医療活動を行いながら、設計施工に関係する外部との意見交換を繰り返し実施した。新病院では約600人の看護職員が必要となり前年度から新採用者の確保のために人事課と調整、その他種々の問題解決に追われる日々であった。2001年5月、遂に新病院が完成、患者搬入前に新しい医療機器搬入など医療活動をスムーズに行うための調整が続いた。責任者であった今井元副院長を中心に入院患者を安全に搬入するために、新病院での受け入れ側と旧病院から送り出す側で役割分担を決めスケジュール通りに進めた結果、2001年9月1日11時30分にすべての患者を無事搬入することができた。その時、新病院玄関付近から30人程の大きな拍手と歓声が沸き起こった。大事業を無事成し遂げた安堵の気持ちを皆で共有できたことに大変感動した。あの時の感動は今も脳裏に焼き付いている。新病院での看護活動が始まり看護部教育委員会を活発化し“へだてなく より的確に こまやかに”という理念を掲げて患者中心の看護を実践すべく奮闘した。1995年に財団法人日本医療機能評価機構(現・公益財団法人 日本医療機能評価機構)が設立された。医療の質を第三者が評価するもので多くの病院が受審した。本院も新病院への移転が叶い一気に受審に向けて動き出した。2003年3月、準備委員会が発足、副院長、看護部長、事務部長が各部署の統括責任者となって準備がスタートした。看護部は評価項目に沿って師長会、各委員会で看護基準、手順などの見直しをした。1年間の準備期間を経て2004年6月訪問審査、2005年5月に「病院機能評価Ver4」の認定を受けた。新病院建築、病院機能評価を経験して各部署と連携し、協働することが医療活動に不可欠であることを再認識した。医療レベルの高さは周知の病院であることはいうまでもないが昔から家族的で温かみのある病院として患者、家族から親しまれ信頼されてきた。世代を超えて地域の方々に支えられ今に至っていることを実感する。私の長い職業生活を支えてくれたのは尊敬する先輩の方々やともに頑張ってきた仲間に恵まれたこと、協力的で理解ある医師の方々と協働できたことである。今も感謝の気持ちで一杯の本当に幸せな38年間であった。医療を受ける立場となった今、急性期や終末期にある患者、家族にとって安心・安全で後悔のない納得のいく医療が受けられることが重要である。医療を提供する側はそこが常に問われるところだと思う。今後とも近代的な環境のもとで教育、訓練された優秀な職員がより良い医療を提供し、次の100年に向けて発展し続ける北野病院であることを信じて拙い文を閉じたいと思います。
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