1.研究部門の改組、刷新2.研究成果発表と議論の場の確保② 研究所セミナー:2カ月に1度の2部門からの0980982001年4月に当時の院長である髙月清先生に招聘され、京都大学循環病態学講座の腎臓内科講師から本研究所病院腎臓内科部長に着任した。約15年の京大教官生活から当施設に転身を決意した背景には、京大医学部で何度か開催された当財団主催の「医生物学フォーラム」に出席し、その演者の幅広い人選とこのフォーラムを可能にする研究所病院のユニークさに興味を持った事もきっかけとなった。着任後すぐの9月に新館への移動という大きなイベントがあり、旧病院の地下にあった研究室を旧西館研究所に移動した。当時(2001〜2004年)はあくまで部門の研究主幹としての研究活動で、現実には大学とは段違いに多い臨床現場の仕事に追われて、研究所全体の活動を把握していなかった。2004年5月に、当時の山岡義生院長から研究所副所長就任の任命を受け同時に執行部の一員として研究所の立場から研究所病院の方向性決定機構にも参画することとなった。経験不足と研究所来歴に無知であったこともあり、最初に新旧の病院長である髙月清先生、山岡義生先生、私の前任の研究所副所長の高林有道副院長(外科部長)の先生方と新任の武曾で〈研究所展望座談会 2004年6月22日開催〉を行った。詳細は他に譲るが、これにより1925年に大阪の梅田の地に京都大学の出先研究機関としての研究所が創立され、病院はその研究を臨床の現場で行う施設という位置づけで3年後に設立されたというユニークな立ち位置が理解できた。また、その背景があって、多くの京大教授の先生がたが北野病院を経て昇進されたこと、この病院で臨床、研究を行うことが京大を含めたアカデミアの経歴に直接繋がることを改めて認識した。一方、それらの研究はあくまで個人の裁量にゆだねるという環境であり、医師の臨床現場多忙さを理解しているものとして、独立した研究専門家としてのPhDの参入を希望していたが、すぐには受け入れられなかった。臨床現場からの研究のモチベーションを鼓舞するため、毎年の4月の新人オリエンテーション時は、研究所としての北野病院の紹介を行ったが、この文章のタイトルをその時に掲げた。任期中に行った研究所関連の施策を紹介する。副所長就任後すぐに、2004年5月から、それまでの5部門(第1〜5研究部門:感染症、癌、臨床、神経疾患、遺伝子診断・治療研究専門)に加えて、第6部門として治験管理センター部門を新設した。その後、2007年8月より10部門のテーマ別分野と治験センターによる11部門の研究組織(現行体制)に改組され、各人の診療専門に関わらず、研究内容による部門に属することで、より研究者としての自覚を促した。研究発表で討議の場とした。① 研究所発表会・学術講演会:年1度の研究所行事であり、前半で上記11部門からのその年の代表者の発表を行っていただき、これに対して各部門の研究主幹と外部研究顧問および当日後半のメインイベントである学術講演会の招聘講演者からも、コメンテーターとして指導的意見をいただくこととした。武曾 惠理すべての医療行為は研究行為であり、すべての医療従事者は研究者である—研究所副所長として2004年5月から2014年3月までになしえた事—田附興風会 医学研究所北野病院研究所 元副所長、現客員研究員(京都華頂大学現代生活学部食物栄養学科 教授)
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